ハワード・ジョーンズ HOWARD JONES
ハワード・ジョーンズはアイドルだった。
音楽性、実力、そういう面で捉えると物議をかもしだすかもしれない。
しかし、当時の日本の音楽シーンにおいては、少なくともそうだった。
ミーハー系の音楽雑誌には「ハワちゃん」「ハワードくん」といった文字が氾濫し、少女漫画には彼をモデルにした男の子が登場した。
その頃の洋楽ファンの女の子たちは、彼をカワイイと呼んだのだ。
でも、ホントにそうか?
顔は長いし、目は引っ込んでるし、アゴだってしゃくれてる。
え? 髪の毛がふわふわしててトウモロコシの房みたいでカワイイって?
それは毛根が弱って髪の毛にハリがなくなってるんだってば。
どう見たって、禿げ上がってるジャン!
……と、そんなこと一人で言ってみてもどうしようもない。
世論がハワード・ジョーンズをアイドルにした以上、たった一人の意見で彼のポジションが覆るはずもなかった。
その数年前、「ルビーの指輪」という曲が大ヒットしたときのことだ。
ニヒルな雰囲気でそれを歌う寺尾聰が「日本で一番二枚目」という空気が流れていた。
でも、二枚目という言葉についてよく考えてみよう。
世の中には草刈正雄だっているし、真田広之だっている。
しかし、時代の空気は、確実に寺尾聰を推していた。
「ハワードくんアイドル伝説」もちょうどそんな感じだった。
そもそも、デビュー当時の彼には「ニュー・ソング」のクリップからは推測すらできないアングラな部分があった。
あの頃話題になっていた、一人ですべてやってしまうライヴはその顕著な例ではないか。
あれは明らかに、自閉的かつ自己満足的なアンダーグラウンド・パフォーマンスだ。
それに、彼がメジャーシーンに登場する時に、一緒に引っ張り出したのはジェドおじさんだぞ。
あんなのどう見たって、暗黒舞踊系のパントマイマーだってば。
その先にある交友関係を想像したら、もっとすごいのがでてきそうだ。
しかし、ハワードは巧かった。
デビュー曲に「ニュー・ソング」を選んだのは賢明だったし、その一曲で手にした陽気なイメージに、どんどん自分を近づけていく努力をした。
セカンドアルバム「ドリーム・イントゥ・アクション」の頃からは、バックバンドを付け、ステージを一人ぼっちの暗黒芝居ではなく、聴衆を巻き込んだパーティーに変貌させた。
売れないミュージシャンだった弟を、そのバックバンドに迎えてアットホームなイメージまで作り出した。
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当時、アイドル的人気を誇った同じマルチプレイヤーのニック・カーショウが、頑なにアイドル人気を拒み、ミュージシャンとしての自尊心を貫くあまり、奈落のそこに続く迷宮の入り口に立ってしまったのと対照的に、彼は日の当たるステージに立ち続ける道を進んだ。
Nik Kershaw - I Won't Let The Sun Go Down On Me
彼はポップスターになったのだ。
だが、彼のポップスター志向に基づく、自身のアイドル化計画は、意外なところで破綻をきたす。
それは、セカンドアルバムからのシングルカット「シングス・キャン・オンリー・ゲット・ベター」のクリップで見せた、さらにポップで派手なビジュアルのために、フワフワ感をキープしたまま、思いっきり逆立てたモヒカン調のトウモロコシカット……。
Howard Jones - Things Can Only Get Better
ああ哀しいかな、彼の毛根はそれ以上酷使されることを許さなかった。
そして、サードアルバム「ワン・トゥ・ワン」がリリースされた時、そのジャケットにいたのは、なんの変哲もない髪の薄い普通のおっさんだった。
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こうして彼は、アイドルからミュージシャンへと、物理的に変貌を遂げた。
まるで、大銀杏を結えなくなった関取が、ひっそりと土俵を姿を消すかのごとく……。
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