So Tired/HAIRCUT100~素直な表現の功罪
バンドのフロントマンが脱退するということは、一大事である。リマールが抜けたカジャ・グー・グーは、よりテクニカルな方向にレベルアップしたが、「トゥー・シャイ」を愛したファン層はそれについていくことが出来なかった。
ヘアカット100が失ったのは、ニック・ヘイワードだった。
ニックなき後のヘアカット100を見るのは痛々しい。
爽やかトラッド系おぼっちゃま軍団だと思っていたが、ニック一人抜けただけで、異様におっさん臭い集団になってしまっている。
ヴォーカルは、「仕方ないから俺が歌うか……」みたいな居心地の悪いたたずまいで、再出発をはかるはずの決意の一曲のタイトルは「ソー・タイアード」。
Haircut One Hundred - So Tired ( Silver 7inc Disc )
仕事に疲れきった、中年のおっさんのようなモチベーションの低さである。
しかし、しかしだ。
このクリップは傑作である。
列車で旅をしながら、彼女との戻らぬ日々を思い浮かべるといった陳腐な内容でありながら、セピア調の映像とけだるいヴォーカルが見事に「ソー・タイアード」を表現している。
列車モノクリップとしては、ブロンスキ・ビートの「スモールタウンポーイ」と並ぶ完成度の高さを感じる。
このクリップの中に漂うけだるさ、疲れ、すべてがメンバーにとって、その時の偽らざる心情だったに違いない。スターの座に昇り詰めて、忙しい日常をこなしつづけているところにフロントマンの脱退。
「僕はもう疲れたよ……」そんな素直な気持ちがクリップになったのだ。
しかし、イアン・カーティスを失ったジョイ・ディヴィジョンが、「ブルー・マンデイ」を歌って、新しいスターの座を掴んだのとは違い、ヘアカット100に再びスポットライトがあたることはなかった。
「ブルー・マンデイ」に歌われた哀悼の思いは聴衆を駆り立てたが、「ソー・タイアード」で歌われた疲労感は聴衆までをもけだるい空気で包み込んでしまったのかもしれない。