プロンスキ・ビート BRONSKI BEAT
はじめてブロンスキを知ったとき、ジミのファルセットヴォイスに込められた、溢れ出すような、それでいて、けっして「動」ではない「静」の魅力に激しく吸い寄せられた自分を思い出す。
その一方で、ジョンがヴォーカルに据えられたジミ脱退後のブロンスキの、まるで別のグループであるかのような軽快さを素直に受け入れた自分も、である。
ファーストアルバム「エイジ・オブ・コンセント」のオープニング曲「ホワイ」の冒頭からいきなり絞りだされるジミの声には、背筋が凍りつくような衝撃を感じたものだ。
この「ホワイ」という曲は、その歌詞に「君と僕は僕たちの愛のために一緒に闘っている」とある。
[CD]BRONSKI BEAT ブロンスキー・ビート/AGE OF CONSENT (+6)【輸入盤】
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なんの先入観もなく、この曲を聴くと、まるでよくあるメロドラマのような禁断の愛を頭に浮かべるが、ブロンスキの場合は、当時、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを怪物に育て上げた、トレヴァー・ホーン率いるZTTレコードのスカウトを断ったというニュースとともに、その内面がすでに取り上げられていたため、その曲の歌詞は、もっと違う意味での深さを持って、我々の耳に届いていた。
そう、オリジナル・ブロンスキ・ビートと呼ぶべき、ジミを中心にした三人は、日本には音以前に、「全員がゲイ」という内面をセンセーショナルに音楽雑誌に取り上げられていたのだ。
そして当然、聴くものは念頭に「ゲイの書いた歌詞」「ゲイの書いた曲」「ゲイの歌う歌」として、「スモールタウンボーイ」「ホワイ」と、彼らのオリジナル曲を聞いていく。
「スモールタウンボーイ」で、母が出て行く理由を理解してくれないまま、一人淋しく駅に立つ少年は、思春期の反抗から町を後にするわけではなく、性癖を理解されず、小さな町を後にするのだと考える。
Bronski Beat - Smalltown Boy ORIGINAL VIDEO
「ホワイ」の「君と僕」が闘う相手も、たとえば不倫相手の本来の旦那や、二人の交際を認めない父親が相手ではないと知る。
Bronski Beat - Tell Me why (ORIGINAL)
それはマスコミがもし、彼らの、特にこの時期のブロンスキの方向性を決定付けていたジミの性癖を取り上げていなければ、けっして伝わらない背景から導かれるものであった。
我々は「世間に理解されない人の書いた歌詞、その怒りを込めた曲」としてブロンスキを知り、歌詞を書いた人物、曲を作った彼らが歌に込めた本当の意味を知った気になったのである。
しかし、それははたして、正しいことだったのだろうか。
我々は純文学と呼ばれるひとつの小説に出会ったとき、その中に表現される人物の心を解読し、小説のレベルをはかるとき、著者の私生活を考慮するだろうか。
たとえば、作中の人物が恋する相手の描写を読んで、「ああ、この作者の恋人はこんな人だったのだ」と思うだろうか。
作中人物が20代半ばにしてその人生を閉じたとき、「ああ、作者は20代半ばで死と対面したことがあるのだ」と考えるだろうか。
一概に小説と呼んでも、その中には傑作もあれば駄作もある。
語り継がれる名作もあれば、読み捨てられる作品もある。
しかし、いずれの場合も前者に共通するのは、緻密に構成された小説内の世界構築なのである。たとえば、時刻をあらわす一日の描写。
すぐれた小説には、そのシーンが朝である理由があり、結末を迎えたとき、夜である理由がある。
なぜなら、その小説は主人公の堕落をテーマにしたものであるから、堕落前の主人公を書いたシーンは、朝日差し込むシーンであり、堕落した主人公が末期を迎えるエンディングは、光一つ差さぬ夜である必然性があるのだ。
ジミ率いたオリジナル・ブロンスキの歌詞、音、そしてその融合である歌。
すべてが、21世紀に入った現在でも、色褪せることなく聴くものにその「怒り」「反抗」「哀しみ」といった感情を的確に伝えてくる。
つまり、彼らの残した作品は名作だ。
けっして、一時の感情に支配された独り言ではない。
そう考えれば、この名作はもしかして、彼らがゲイであろうがなかろうが生み出される「傑作」であり、緻密に構成された世界の中に構築されたフィクションだったのではないだろうか。
ジミが脱退した後のブロンスキは、前述のとおりジョン・ジョンというヴォーカリストを迎え、「ヒット・ザット・パーフェクト・ビート」という曲をもって、日本含む各国のダンスチャートを席巻した。
Bronski Beat - Hit That Perfect Beat (HQ 1985)
オリジナル・ブロンスキの作り上げた「理解されない哀しい同性愛の少年の独白的世界」を愛したファンは、なんの苦悩もないその世界を激しく拒否した。
しかし、元々、ジミの作った世界がフィクションであったとしたら、そして、それに気づいていたとしたら、それを否定する理由は全くなかったはずだ。
音としてのブロンスキを支えた、スティーヴとラリーの二人が、ジミを失ってからもブロンスキ・ビートの名前を名乗りつづけたことに、その答えが見えてくる気がする。
もっとも、個人の名前まで「ブロンスキ」と名乗っていた、スティーヴが実は「独り言の主」だったのかもしれない。
しかし、それは脱退後のジミが演じたコミュナーズのファーストアルバムが、まるでオリジナル・ブロンスキのセカンドアルバムのような出来栄えだったことからもありえない。
いや、そうでなくあってほしい。