Last Christmas/WHAM!~未来の大スターのプライベートクリスマス
Wham! - Last Christmas (Official Music Video)
クリスマスが近づくと街中にGeorge Michaelの歌声が流れてくる。
あれから30年以上の時を経て、この曲が80sクリスマスのスタンダードしては、もっとも有名な曲となったといっても過言ではない。
当時彼らはレコード会社を移ってのセカンドアルバムで世界進出に成功し、前作でもあるGeorgeをフィーチャリングした名義のCareless Whisperの大ヒットで、その地位を固めようとしていた。
そして今になって思えば、ユニットの名を高めていくのと並行して、着実にGeorge Michaelが一本立ちしていく準備を進めていた時期でもあったといえる。
この曲も実際のところはGeorgeのソロプロジェクトの試走期間を象徴するような曲で、初期のWHAM!のふたり+女性コーラスふたりの構成で演じていた曲とは毛色が異なっている。
PVにはもちろん、AndrewもD.C.LEE姐さんもちらっと登場しているが、あくまでGeorgeを主役に据えた作品として描かれており、演奏シーンもコーラスの口パクもなく、「Georgeのクリスマス1984」とでもいいたいイメージビデオになっている。
フィルムは雪山に向かうシーンから始まり、山頂のロッジでクリスマスパーティの準備が始まり、そしてちょっと甘いムードなんかもかもしながら楽しい一夜を過ごして、山を下りてくるというたあいないもの。
そもそもパーティだけのために雪山を上るという状況が今あらためて観てみるとよくわからないが、当時はなんだか大人の世界を感じたものだ。
最後のシーンが一晩明けてみんなで山を下りてくるというのが、なんだか丁寧でほほえましい。
夢のような一夜が明け、現実の世界に戻ってくるみんなの顔が幸せそうで、楽しい一夜だったのだろう。
よく見るとスキーを持っている仲間がいるが、彼らがスキーをしているシーンはフィルムにはない。
あくまでこのクリスマスはGeorge中心に描かれた一夜であり、誰が主役なのかをはっきりとオーディエンスに示している。
だがワンマンの王様が家来を連れて山に登ったという感じはなく、友達との楽しいパーティを演出したフィルムに仕上がっているのが秀逸。
AndrewもD.C.LEEも楽しそうで、ふとこのメンバーたち、特に歌いも踊りもしていないし、本当に友達を集めたんじゃなかろうかという想像をさせてくれる。
まるで未来の大スターGeorgeと親友たちのプライベートクリスマスのドキュメンタリのようなPVのできが、ほんわか温かいな曲調にマッチして、スタンダードになったのかもしれない。
そして実はかなり切ない歌詞の面影がそこにはない。
フィルムにはその切なさや悲しみをまったく描かなかったことがスタンダードとして生き残れた理由ではないだろうか。
Merry Christmas!!
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Can't Let You Go/RAINBOW~メロディアスなサイレントフィルム
幽玄な印象のパイプオルガンから始まるイントロの間に、PV上の舞台設定が紹介され、そして曲の始まりとともに目覚める眠り男チェザーレを演ずるジョー・リン・ターナー。
モチーフはいわずと知れた1920年に制作されたサイレントフィルムの名作「カリガリ博士」だ。
El Gabinete del Dr. Caligari 1920 (Subtitulada al Castellano)
あの夢幻の世界観にはたして重厚なハードロックが合うのかという気もするが、この曲の持つメロディアスさは実にうまくはまっている。
ドラマ部分は実際どうかというとやや滑稽な側面も持つが、間違いなくカッコいい演奏シーンとのつなぎがうまいため、吹き出すようなこともなく見せられてしまう。
その要因として挙げられるのは、演奏シーンのバックをおなじ舞台に据えたことだろう。
そしてメンバーが黒一色の衣装をまとうことで、カリガリ博士のシーンと彼らの演奏に違和感ない一体感が生まれている。
特にそれを物語るのが、実は忙しいくらいの場面転換をしていることに気付かないことだ。
あらためてじっくり見直すと、ドラマと演奏のシーンは常に行ったり来たりしていて、実にせわしない。
しかしそれでもこのPVと曲にのめりこんでしまうのは、その自然なつなぎがもたらしているといえるだろう。
そしてヒロインのキャスティングも素晴らしい。
黒と白の中に映える彼女の髪の色。
無声映画がモチーフなのだからひとことも話さないのは当たり前といえば当たり前だが、それが一人歌い続ける謎のオペラのようなジョーを引き立てている。
1:58あたりで彼女がなまめかしく体をくねらせたあとに、丸いフレームのズームアップでジョーが出てくるところは、この舞台設定でなくては生まれない美しい一場面だ。
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Love Shack/B-52'S, THE~誰もが必ず好きな、一番ではないスラップスティック
The B-52's - "Love Shack" (Official Music Video)
DEVO が HUMAN LEAGUE のオネエチャンコーラスのコンセプトをパクったら、米米
クラブの素みたいなものが生まれたという感じでしょうか。
B-52'S の素敵なところは、がちゃがちゃとしたスラップスティックなコメディ感で、二の線ではないところ。
みんな本気で聴いていないけど、本人たちも音をじっくり聴いてくれではなくて、このノリを一緒に楽しもうぜなところがいい。
パンクでもない、テクノでもない、ごった煮の音楽をレトロな空気感に載せた彼らの音楽はまさにパーティミュージック。
着席のフレンチや、カウンターのすし屋ではなくて、立食パーティの無国籍なスモーガスボード的な魅力が彼らにはある。
絵に描けばそれはおそらくゴッホではなく、リキテンスタイン。
ポップで、でも芸術よりはコミックに近いのに、それでも芸術。
そんな音に魅力がないわけがない。
嗜好や好みの方向性を超えて、誰しもが一番でなくても必ず好きな音楽というのは、まさに字のとおり音を楽しむ。
そんな彼らのような音にある。
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This Charming Man/THE SMITHS~マザコンフォーク少年のソリッドロック
The Smiths - This Charming Man (Official Music Video)
THE SMITHS がカリスマになったのには、なんといってもモリッシーの書く歌詞が青春をすぎた若者たちの共感を呼んだからに間違いない。
彼の詞に感動したのは青春ど真ん中、必死に生きている少年たちではない。
工業都市の片隅でロンドンに憧れて鬱屈とした青春を過ごし、そしてもうその時間が戻らないと気付いた元少年たちが感動したのだ。
しかしもしその歌詞を載せたのが、ニューロマの名残を感じるミッジ・ユーロの書くような曲では彼らには響かなかっただろう。
なにしろ彼らはミッジやスティーヴ・ストレンジが築いた虚構の街の夜には届かない青春を過ごしたのだから。
そこで重要な意味を持つのが、ジョニー・マーの音楽的な嗜好だ。
シンセイサイザーではなくギター。
そしてコードではなくフレーズ。
ソリッドな彼のギターは沈痛なモリッシーの言葉の世界にリズムを与え、体を動かす作品に仕上げた。
モリッシーが振り回す花束は、マザコンフォーク少年が、マーの曲によってロックの世界に飛び込めた嬉しさをあらわす照れ隠しの暴動表現だった。
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Life On Your Own/HUMAN LEAGUE~作者自身に向いていなかった名曲と映像
The Human League - Life On Your Own
フィル・オーキーのマイ反戦ブームが一瞬で過ぎ去ったことはこの前も語った。
結局次のシングルになるこの曲の時点で、すでにラブソングに戻っているわけだが、それでも曲調、そしてPVともに Don't You Want Me とは違い、シリアス路線をいっている。
個人的には実はこの曲が大好きで、フィルの低音ヴォーカルがすごくいきたメロディだと思う。
ブライアン・フェリーやデヴィッド・ボウイが歌ってもよさそうな一曲だ。
PVは歌詞とはそれほど関係ないイメージで、おそらく核の冬を想起させるイメージなのだろう。
バンドのアイコンともいえるオネエチャン二人をあえて画面の中の画面に閉じ込め、フィル以外の生命をすべて過去のものとしたシリアスさが陰鬱で思い曲調をみごとにいかしている。
人気的には低迷した時期といえるかもしれないが、この曲は名曲だ。
ただやっぱり80年代きってのチャラ男が歌っても、そこにはなんのメッセージを届ける力もなかった。
作者本人にもっとも向いてなかった、悲しい名曲でもある。
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The Lebanon/HUMAN LEAGUE~チャラ男、世界平和に目覚める(ただしファッションとして)
The Human League - The Lebanon
フィル・オーキーという人は、明らかに浮かれたポップスターとしてナイトクラブカルチャーでピコパコするのが彼の本質だった。
おそらくそれが、当初の実験テクノが肌に合わず HEAVEN17 との分裂を招いた原因だろう。
結果自由になり、派手なメイクをしてきれいなお姉ちゃんを侍らせて歌えばいけるだろうみたいな発想で恋愛恨み節をデュエットしてスターダムにのしあがったわけだが、久しぶりに帰ってきたとき、なんだか小難しくなっていた。
戦場をテーマに重厚なベースソロから始まる曲を歌う彼の姿は、あのメイクをそぎ落とし、ぼっさぼさの長髪に無精ひげ。
一体どうしてしまったのかというほどのかわりようで、社会派のミュージシャンに変化したようだった。
憧れのポップスターになったことで、彼の中に変化が起きたのだろうか。
大金を手にし、ポップス界の頂点を見て、そして彼は世界平和に目覚めたのだろうか。
ボブ・ゲルドフのように。
僕たちの愛した80'sのチャラ男はもういなくなってしまうのだろうか。
だがそんな心配は杞憂に終わる。
結局この路線がイマイチ受けないと気付いた彼は、Human で
あっさりと方向性を元に戻し、そしてファンが求めていたものがそっちだったと再確認するのだ。
安定のチャラ男っぷり。
そして再結成した今もフィルはチャラい。
頭髪はすっきりしてしまったが、チャラチャラとデュエット演歌みたいな歌を歌い続けて、ファンを満足させてくれている。
The Human League "Don't You Want Me" - Stockholm, Debaser Medis 11th November, 2016
そんなフィルが一瞬、変貌を遂げた証拠フィルムがここにあるわけだが、ライブシーンをシンプルに収めたこのクリップはカッコイイ。
ベースのアップから入るイントロなんて、シビれる映像だ。
だが結局フイルのこの方向性は多分深刻な世界平和に対する祈りなどではなく、多分これ
Culture Club - The War Song (HD)
と同じような、マイ反戦ブームみたいなファッションからきたものだったんだろう。
まあそれも彼らしくていかにもで、なんだか愛しく思えるのが結局このチャラ男の魅力なのだ。
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It's My Life/TALK TALK~真面目過ぎたポップスター候補生
ポストパンク、ポストニューウェーブの流れの中、ニューロマンティックとかネオアコとかなんだかんだと、その瞬間覇権を握ったかのように見えた勢力が、後年振り返ると、一瞬のムーブメントに過ぎなかったという例は山のようにある。
その中にいたアーティストたちは、はたして自分の演っている音楽がなんという名のジャンルにくくられていたか、どんなバンドと同類に見られていたか、そんなことを考えていただろうか。
TALK TALK はなんともとらえどころのない、よくいえば変幻自在、悪くいえば腰の据わらない落ち着かないバンドだった。
タイミング的にもニューロマにくくられて当然のデビューからアルバムを重ね、DURAN DURAN が SIMPLE MINDS を経て ICICLE WORKS になっていくかのような進化の道を歩んだ。
その過程の中でおそらくもっとも一般受けし、МTVブームという追い風もあったがヒットチャートでの露出の多かったスマッシュヒットがこの曲だろう。
その後 JOHN LENNON がプログレしたような方向に突き進む MARK HOLLIS がまだあどけなく、PVも決して予算をかけた感じはしないが、アメリカのМTVでも浮かず、日本の洋楽ファンにも受け入れられそうな手触りに仕上げられている。
しかし彼のその奇妙な鼻の詰まったボーカルは、あきらかに、ナイトクラブでオネチエチャンをはべらせて自分のレコードをかけさせながら、彼女のオッパイを触って愛のたわごとを囁くような声ではない。
彼らの残したアルバムのスタートから三枚は、音楽性の進化とともにファンを切り捨て、マニアを呼び寄せる道だった。
ポップスターになるには真面目過ぎた彼らの生きざまについては、いつかしっかりと語りたい。
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