Baby Come Back/BILLY RANKIN~華々しくそっと咲いたクールな一輪
ナザレスのギタリストといってもどれくらいピンとくるのかちょっとよくわからない。
というのもビリーが古豪ナザレスに関わるのは、1981年以降で、彼のソロアルバムGrowin' Up Too Fastからのシングルカット、Baby Come Bacが日本のMTVで流れたのは1983年。
どらちかというと謎の一発屋として記憶されているかもしれない。
BILLY RANKIN " Baby Come Back " Clip
しかしこの曲は素晴らしい。
ハードな曲調でありながら、ハイトーンで軽いビリーの声質との相乗効果で、奇妙に都会的なクールさを感じさせてくれている。
当時のご多分に漏れず、PVは小芝居の入った仕立てになっているが、まあデュランやスパンダーほど金をかけられるわけでもなく、ストーリーもあってないようなもの。
ただ迫りくるような曲調に、追い立てられるような映像のマッチングは見事。
派手派手しい曲や、壮大なスケールのPVが羅列した時代に、一瞬華々しく、そしてそっと咲いた名作。
ベイビー・カムバック?燃えよ魂[LPレコード 12inch]
- アーティスト: ビリー・ランキン
- 出版社/メーカー: CBSソニー
- 発売日: 2015/07/18
- メディア: LP Record
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Red Ripstick/NOMO~洋楽バブルの影の名曲……で、あんた誰?
80年代の洋楽ブームは今となって思えば、洋楽バブルだった。
とにかく今となってはあれはいったい誰だったのだろうとしみじみとしてしまうような、忘れようとしても思い出せないようなバンドのPVがテレビで流れ、アルバムがリリースされ、本国での立ち位置よりも日本の音楽シーンでのほうが上にあるようなミュージシャンも山のようにいたはずだ。
なぜあんなことが起きたのかというのを70年代以前と比較してみると、音楽にファッションの要素がバリエーション豊かに入り込んだのがあの時期だったのではなかろうか。
誰もが髪を伸ばしていたそれまでと違い、髪の長さは自由。
服装もバンドのコンセプトに合わせて、金ラメだったり女装だったり、貴族風だったり。
とにかく曲にもファッションにも自由な選択肢が生まれたことが、一気に洋楽ファンの幅を広げたのだと思う。
そんな中、あるバンドのアルバムを手に入れた。
それが NOMO だった。
ただこのアルバム、当時輸入盤の処分品で300円で手に入れたんだよね……。
ANDY SUMMERS が参加しているということを記したシールがぺたっと貼ってあったので、まったく知らないバンドだったけど、300円ならまあよかろうみたいな感覚だった。
というわけで輸入盤だもんで日本盤だとまったく無名な新人でも、必ずついていたメンバー全員の名前からバンド結成の経緯やなんかが、どうやって調べたんだろうというくらい丁寧に書かれたライナーノーツがない。
なのでいまだによくプロフィールがわからないままだったりする。
今回これを書くにあたって、ググってみたんだけど、なにしろ彼らがデビューしたころとは違い、 NOMO と検索すると、それはそれはメジャーリーグの検索結果が引っ掛かりまくって収拾がつかなくなってしまう。
結局誰だったんだという疑問はさておき、この曲はすごくいい。
弾むような乾いたイントロから、たたみかけるようなAメロからサビへの入り、そしてファルセットで繰り返されるサビの RedRedRedRedRedRed... のパート。
PVは当時毎週録画していたMTVでは一度も見られる機会がなかったので今回初めて見たけど、まあ当たり障りないっちゃなく、逆に下手にドラマ仕立てにしなかったおかげで、今見ても普通にカッコいい。
80年代洋楽バブルの影には、こんな隠れたいい曲もあったんだなあとしみじみと思った。
Red Lipstick (dance mix) - Nomo 1985 US Disco New Wave
Nómo - Dance The Dance [Audio Only]
NOMO....FACTS OF LIFE......RE-UPLOAD
売れなかった以上、何かが足りなかったんだろうと思うけど、なかなか名曲ぞろいですよ。
Some People/BEROUIS SOME~洋楽バブルに咲いた80年代の徒花
Belouis Some - Some People [Official Video - album mix]
BEROUIS SOME の日本デビューは、それなりにプロモ―ションにも力が入っていて、本国イギリスではさぞかし注目のアーティストなんだろうと思っていたが、あらためて調べてみると Some People がUKチャート33位、 Imagenation が50位、再リリースされて17位と、それほどでもなかったようだ。
今となっては誰だったんだという感じがするのも、この程度のスマッシュヒットアーティストは山ほどいるのだから、やむをえないというところか。
曲は軽快で、PVも爽やか。
なんとなくとっちゃん坊やっぽい BEROUIS SOME のルックスが、かわいく見えてくる。
ただやはり印象に残らない。
なんとなく聴いて、その次いつ聴くのかわからないような、自然すぎるさらっとした余韻。
ひとことでいってしまえば華がない。
こんな立ち位置のアーティストが、大々的にプロモーションされていた80年代の日本洋楽市場は、まさにバブル期だったのだろう。
おかげさまでいろんなアーティストを知ることができ、そしてときにはこんな徒花も咲いたのだ。
★中古レコード/国内盤★ベルイーサム/サムピープル★歌詞・対訳・解説・帯付き★併1702
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The Breakup Song/GREG KIHN BAND~ぶっちゃけダサいノスタルジー
Greg Kihn - The Breakup Song (They Don't Write 'Em) - 7/6/1981 - unknown (Official)
GREG KIHN はぶっちゃけダサい。
ベイエリアのロックスターという点で、比較対象としてよく名の挙がる HUEY LEWIS がなんとなくアメリカンロックのお洒落さん的な存在なのに対して、ファッション、曲調、なんとなく前時代的なゴリゴリ感があり、そもそも鼻の詰まったような歌声とか、なんだかとにかく垢ぬけない感じがしてしようがない。
彼らが世に出るきっかけになった The Breakup Song はどこか懐かしいメロディラインが見事だが、ヴォーカルの「あああーんああああっあーん」というハミングなんか底抜けにダサい。
Greg Kihn Band - Jeopardy (1983) (Music Video) HQ
大ヒット曲になった Jeopardy も今聴くと、曲調といいテンポといい、ひと昔もふた昔も前の香りが漂っていて、80年代というより70年代ロックのようだ。
でもなんだかこのダサさが親しみやすく、ノスタルジックでクセになったりもするのだ。
Huey Lewis And The News - I Want A New Drug
HUEY LEWIS が ヒット曲 I Want A New Drug のメロディをめぐって、裁判で Gostbuster したのと対照的に、そういう争いごとや諍いとも縁のなさそうな、近所の兄貴的感じがして、故郷にたまに帰るような感覚で、ふと聴きたくなるのがこの曲だったりする。
大人になると田舎に帰って母親に甘えたくても、見栄やプライドが邪魔をする。
それは親離れしていない自分をダサく感じるからだろう。
でも帰省したとき、心は安らいでいる。
ノスタルジックな満足感は、自分だけのもの。
人に見せるには少しダサいくらいでちょうどいいのだ。
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I Want A New Drug/HUEY LEWIS AND THE NEWS~懐かしの陽気なアメリカン
Huey Lewis And The News - I Want A New Drug
オープニングの瞳の青さに、あ~外人ってすごい、なんて素朴な感想を持った少年時代。
このPVで一番インパクトを覚えたのは、冒頭のシンク。
たっぷり入れた氷に水を張って、顔を浸ける。
水の中で開いた瞳はやっぱり青く、ごぼごぼと泡立つ息がなんだか奇妙に記憶に残っている。
赤いスーツを身に着けたら、ドラマは一気に進行。
オープンカーを運転し、きれいなオネエチャンの姿をサングラスを下ろしてチラ見したら、フェリーからヘリへ。
ヘリが辿り着く先は……。
お前、ライブに遅刻しとったんかーい!
そういえば最初のシーンにライブで演奏するメンバーの姿が一瞬流れてたな。
PVの中のシーンどおり、陽気なアメリカンって感じが、あの頃憧れたアメリカって感じでなんだか懐かしい。
レコードだと最後のボーカルのあと、長い演奏があるんだけど、PVではスパッと切れるように終わるのもカッコイイ。
最後のHUEY LEWISのストップモーションもフィルム的にはすごくいい。
SPORTS [ ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース ]
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アイシクル・ワークス ICICLE WORKS
「ウイスパー・トゥ・ア・スクリーム(バーズ・フライ)」のクリップは、なぜ日本のMTVであれほど繰り返し、流されることになったのだろう。
Whisper To A Scream (Birds Fly) - Icicle Works
たしかに、イギリス出身のグループでありながら、日本のチャートに影響力のあるビルボードのトップ40あたりにはランクインしていた。
サビのフレーズは耳に残った。
ヴォーカルのイアン・マクナブはちょっとかわいい感じだった。
だが、この曲全体をつらぬく骨格ともいえるドラムの音は、明らかに「音楽をファッション感覚で捉える最先端人」や「かわいい曲が好きな女子大生」や「アイドルタレントを欲しがる女子高生」とは、遠く距離を隔てていたはずだ。
このグループのファーストアルバムを聴くと、シングルカットされた二曲の特異さに気付くはずである。
他の曲と比べて「ウイスパー・トゥ・ア・スクリーム」のサビのメロディは特殊なまでにキャッチーだし、もう一曲にいたっては、タイトルからして「ラヴ・イズ・フル・オブ・ワンダフル・カラー」である。
Icicle Works - Love Is A Wonderful Colour
「愛ってきれいな色でいっぱいだよ」なんて、堂々と絶唱するなんて考えられるだろうか。
しかしその反面、「チョップ・ザ・ツリー」「ニルヴァーナ」「ファクトリー・イン・ザ・デザート」など、「ラヴ・イズ・フル・オブ・ワンダフル・カラー」と同じアルバムに並ぶとは思えないタイトルがずらりと並んでいる。
The Icicle Works, live in 1984 - A Factory In The Desert (Ian McNabb)
「ウイスパー・トゥ・ア・スクリーム」にしたって、字面を見たら、後者よりだ。
そもそも「バーズ・フライ」がタイトルだったわけだし。そう思い直すと、キャッチーなサビとともに聴くものを虜にした「ウイスパー・トゥ・ア・スクリーム」のハードなドラムが耳の奥に響いてくる。
当時、デュラン・デュランに代表される日本でアイドル系のプロモーションをされるアーティストの成り立ちには二通りあった。
ひとつは、いちから作ろうとするやり方。
その最大の成功例は、GIオレンジだろう(日本限定)。
ちなみに失敗したのは、デヴィッド・オースティンやナショナル・パスタイムだ。
David Austin - Turn to Gold (5th June 1984)
National Pastime - It's All A Game
そして、もうひとつのやり方。
これがこのアイシクル・ワークスにも適用された方法なのだが、ライヴハウスから出てきたバンドをメジャーデビューさせる時に、「結構ルックスいいから、そっちの路線で行っちゃえ」という方法。
これは、メンバーにポップスター志向が強い場合は成功するが、そうでない場合はかなりの確率で失敗する。
中でも、チャートアクションの失敗よりも悲惨なのは、メンバーが方針に造反するような音を作り出すことだ。
本来ならプロデューサーが望むより、もう一割程度難解な曲を作りたいはずのメンバーが、ポップな歌謡曲を求められたばかりに意固地になって、自分たちの音楽の中の難解な部分だけを集めて曲を作ってしまい、メジャーデビューする前のファンまでついてこれなくなってしまうというパターンである。
アイシクル・ワークスのイアン・マクナブはこの迷宮に入り込んでしまったのではないだろうか。
ファーストアルバムとセカンドアルバムの間に当たる時期に、アイシクル・ワークスのライヴがオンエアされたことがある。
それを見た時、なんともいえない危険性を感じたことを思い出す。
ステージで繰り広げられる三人のパフォーマンスは、明らかにアイドル系バンドのものではなかった。
中でも、「ウイスパー……」の中で、ギターとキーボードを一人で操り、目を閉じて絶唱するイアンの姿は際立ってそうだった。
Icicle Works Birds fly (Whisper to a scream) Live
その前髪はアゴまで伸び、アイドルとして扱われかけた自らの顔を覆い隠すような髪形になっていた。
そして彼らは自由を得た。
セカンドアルバム以降、ポップさやキャッチーさは影を潜め、そこに展開されていく世界は「ニルヴァーナ」をさらに深遠なものにした、宗教美術のような世界であった。
透き通るツララを作りつづける工場で働く青年は、作るはしから溶けていくツララを見て、工場での大量生産のむなしさを悟ったのだ。
そして彼は絶叫する仲間にそっとささやいて、砂漠の中の工場から鳥のように飛び立った。
自らの涅槃へ。そして工場には、彼が「愛」と呼んだ、きれいな色をした大木が切り倒されて残されていた。
仲間とともに。
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カジャ・グー・グー KAJA GOO GOO
カジャ・グー・グーからリマールの脱退が発表された時、「リマールがコケる!」そう思った。
あまりに突然の発表だったし、ベーシストのニック・ベッグスのテクニックとクリップでのアクションにほれ込んでこのグループを評価していたファンには、リマールは何の武器も持たない、ドラクエのスタート時の勇者のように丸腰に見えたはずだ。
しかし、結果は逆だった。
そもそも、この脱退劇は、いまだに原因がどちらにあったのかが、よくわからない。
一説では、シンセ多様の恋愛ソングを歌いたがるリマールを、テクニック重視のファンク志向が強い他のメンバーがクビにしたと言われたし、もう一説には、元々ソロでデビューして失敗したリマールが、バンドという形で再スタートして売れたところで、再度ソロでやりたくなって、メンバーを見切ったと言われていた。
真相は知らないが、いずれにしてもどちらかがどちらかを裏切ったのは事実らしい。
ただひとつだけ言えることは、リマールを失ったカジャ・グー・グーは、そのテクニックと音楽的な志向で墓穴を掘った。
そもそも考えてみれば、カジャ・グー・グーのヒットの要素は、リマールのアイドル的ルックスと、それにマッチしたちょっと甘酸っぱい恋を歌った歌詞、そして、切なさと明るさの共存したシンセの音色にあった。
Too Shy - Kajagoogoo (official music video)
いわゆる、「胸キュン系」の音楽と小柄なリマールのお星様キラキラの瞳に、全国の女子高生がホントに胸キュンしたことにあったのだ。
それが、4人になったカジャ・グー・グーの音楽は、それまでとは一変、ハードなベースを前面に押し出した、ファンクロックになってしまった。
Kajagoogoo 'Big Apple' Video Filming - Photos
「トゥー・シャイ(邦題:君はトゥー・シャイ)」で、片膝立てたリマールに胸ときめかしたお嬢ちゃんたちに、いきなり大都会のジャングルの厳しさを説いてもついていけなかっただろう。
しかも、あのメロディアスなシンセは奥に引っ込み、バリバリのチョッパープレイ、ビヨンビヨンの世界。「トゥー・シャイ」のクリップを見て、「ニックもかわいいよねー」「ベースの弾き方チョーカワイー」とか言ってた、お嬢ちゃんたちに、ホンモノの音を聞かせてしまっては、さあ大変。
多分、オリジナルカジャ・グー・グーのファンの中心だった女の子たちは、あのカワイー弾き方があんな音出してたなんて、想像もしてなかったことだろう。
ソロになって一枚目のシングルは一見、カジャ・グー・グーに軍配が上がったかのように見えた。
彼らの「ビッグ・アップル」は本国のチャートでトップ10にランクインしたが、リマールの「オンリー・フォー・ラヴ」はトップ20がやっとだった。しかし、しかしである。
「ビッグ・アップル」が手も足も出なかった、アメリカのチャートに、リマールは50位台とはいえ、顔を出したのである。
これは、フロントマンとなったニックにとっては屈辱の結果だっただろう。
「トゥー・シャイ」をトップ5まで押し上げたアメリカのファンが覚えていたのは、カジャ・グー・グーというグループでもニックの高度なベースプレイでもなく、リマールのスカンクみたいな色の逆立った髪型と、甘い声だったのである。
リマールはその後も、映画のテーマ曲「ネヴァー・エンディング・ストーリー」で、アメリカのチャートに実績を残す。
Limahl - Never Ending Story - 1984
しかし、ニック率いるカジャ・グー・グーが、表立った国際舞台に立つことは二度となかった。
Kajagoogoo - The Lion's Mouth (Live 1984) [HQ]
ベースをスティックなる見慣れぬ10本弦の楽器に持ち替えて歌う、「ライオンズ・マウス」は、リマールのアイドル性に惹かれた少女たちに訴えかけることはできなかった。そして、カジャの名のもと三人が残ったものの、最後は誰もいなくなってしまった。
どちらかがどちらかを裏切った。
残ったものは……何もない。
[CD]KAJAGOOGOO & LIMAHL カジャグーグー&リマール/ORIGINAL ALBUM SERIES【輸入盤】
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