ザ・ポリス POLICE, THE
ポリスの最高傑作「シンクロニシティ」から20年。
The Police- "Synchronicity I" LIVE
あの頃を思い出すと、音楽の主流は「歌」だった。
「歌」にはメロディあるヴォーカルがあり、メロディに乗せた歌詞があった。
いつの間にか気が付くと、音楽は「歌」ではなくなっている。
メロディはバックの音の中に存在し、歌詞にはメロディが消えている。
残ったものは装飾を取り去った話し言葉に託された、装飾された言葉のリズムである。
80年代の音楽は多様に富んでいた。
ひとつのムーヴメントが成熟すると、次のムーヴメントがやってくる。
パンクの終焉にはテクノポップが並走し、テクノポップの衰退にはネオアコが台頭した。
ポリスの音楽的な位置付けはなかなか難しい。
ロックと一言でいってしまえばそれまでだが、メンバーの経歴を考えても、それで済まされるものではない。
敢えて言うなら、「アウトランドスダムール」「白いレガッタ」の時代は、パンクの姿を借りたレゲエ、もしくはレゲエのエッセンスを取り入れたパンク。
[HD] The Police - Peanuts (HP 1979)
The Police - Can't Stand Losing You
そして、「ゼニヤッタ・モンダッタ」の頃からそこにポップスの要素が入り始め、
「シンクロニシティ」でそれらが完成された「ポリス」という音楽になった。
The Police - De Do Do Do, De Da Da Da
そう、「ポリス」とはひとつのジャンルであったのかもしれない。
アウトランドス・ダムール [ ザ・ポリス ]
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白いレガッタ [ ザ・ポリス ]
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ゼニヤッタ・モンダッタ [ ザ・ポリス ]
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シンクロニシティー [ ザ・ポリス ]
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LOVE IS FULL OF WONDERFUL COLOUR/ICICLE WORKS~アメリカ行きの切符を入れるポケットの付いていない服~
Icicle Works - Love Is A Wonderful Colour
このクリップを見るといつも思い出すのは、トーク・トークの「イッツ・マイ・ライフ」のクリップである。
アイドルとして売りたいプロデューサーと、アーティストとして表現したいメンバーのいびつな組み合わせという点が酷似しているように思うのだ。
「もっと綺麗な服を着て歌ってくれ」と懇願するプロデューサーをはねつけて、「普段着で撮影する」とメンバーが言い張る姿が浮んでくる。
そもそも、MTV向けのビデオクリップを作るという時点で、不要だとはねつけるメンバーの姿があったのではないだろうか。
ビデオ自体は本当にどうということのない無難な作品だが、森の中を歩きながら歌うイアンの姿は「俺、なんでこんなことやってんのかなあ」みたいな雰囲気にあふれている。
当然、「ウイスパー」で手に入れたアメリカ行きのチケットは、このクリップで失うことになるのだが、アルバム中、もっとも一般オーディエンス向けの曲でそれを失うあたりが、あまりにもイアン・マクナブらしい。
【輸入盤】ICICLE WORKS アイシクル・ワークス/5 ALBUMS BOX SET(CD)
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ヒューマン・リーグ HUMAN LEAGUE
ぶわっはっはっはっは。
今となってはどちらを笑うべきかわからんが、フィリップ・オーキーの迷走ぶりは爆笑に値する。
80年代前半の彼は、二人いるといってもいいくらいだ。
一人はポップスター、フィリップ・オーキー。
もう一人は反戦家、フィリップ・オーキー。
アルバム「DARE!」から大ヒットした「ドント・ユー・ウォント・ミー(邦題:愛の残り火 ← ヘンテコだがその通りの曲である)」。
デアー! [ ヒューマン・リーグ ]
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クリップに登場したフィリップ・オーキーは、何もそこまでと言いたくなるくらいになでつけたオールバックと、「ヅカガール!」と叫びたくなるような目張り系メイクにルージュ、黒いスーツ。
The Human League - Don't You Want Me
いくらクラブ全盛のロンドンとはいえ、まるで、場末のニューハーフであった。
しかもその曲の歌詞たるや、ロンドン版ヒロシ&キーボーと評するしかないメロドラマ。
当時は洗練されたテクノだと思っていたアレンジに、こんな歌詞を乗せたこの男は、果てしなく女々しいはずだった。
しかし、何をどこでどう間違えたのか、二人目のフィリップが帰ってきた。
(LP)ヒューマン・リーグ/ヒステリア【中古】
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続くアルバム「ヒステリア」からファーストカットされた、「レバノン」のクリップの彼は、ひげ面の長髪に、Tシャツとジーンズ。
そして歌うのは中東情勢だ。
The Human League - The Lebanon, By EMI
続く「ライフ・オン・ユア・オウン」のクリップでは、核戦争だ。
The Human League - Life On Your Own (Official Video Release HD)
一体、フィリップに何が起こったのか。
もしかして、フィリップとヒューマン・リーグはこのまま、トーク・トークやアイシクル・ワークスのような道を進む事になるのか……。
そうなったらフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのポール・ラザフォードと同じくらい、存在価値がビジュアルにしかない(注)お姉ちゃん二人はどうなる!
我々は静観するしかなかった。
だが、フイリップはやっぱりフィリップだった。
彼はポップスターの名誉と誘惑、そして陶酔する自分を捨てる事は出来なかったのだ。
考えてみれば、元祖ヒューマン・リーグからポップ志向のないメンバーが独立(ヘヴン17と分裂)、残ったメジャー&ポップ志向メンバーの中心人物が彼である。
お姉ちゃんたちだって、彼がビジュアルに花を添えるために連れてきたんだもの。
あの日フィリップはポップスターへの道を選択したのだ。
こうして、反戦家フイリップ・オーキーは姿を消した。
その選択は正しく、ヒューマン・リーグはお化粧直しのすんだ彼とともに商業ロックの王道で、成功へのステップを上り詰めていくのである。
今になって思えば、反戦家フイリップが純粋に世界平和を考えたのは「レバノン」だけだったかもしれない。
なぜなら、「ライフ・オン・ユア・オウン」はクリップこそ核戦争後の地球を見せてくれたが、「愛のわかれ道」なんて邦題が付くような歌詞だったから。
フィリップの爆笑すべき混乱は、ほんの数ヶ月で決着していたのだ。
「レバノン」がチャート上でコケた時、「僕は売れたかったんだ!」ということに気付いたのだろう。
デアー! [ ヒューマン・リーグ ]
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グレイテスト・ヒッツ (ヒューマン・リーグ) [ ヒューマン・リーグ ]
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(注)ここで言うポール・ラザフォードの価値とは、美形という意味ではない。
ゲイであることを、ファッションとして売りにしたフランキーにとって、誰が見てもひと目でゲイとわかる彼のビジュアルが必要だったのだ。
NEW SONG/HOWARD JONES~新しい歌に載せた新しい自分~
最初にこの曲を聞いたため、ハワード・ジョーンズの音楽、ビジュアルに「カワイイ」とか「ポップ」「軽快」というイメージを持つ人は多いだろう。
だが、彼の本来の持ち味は「ホワット・イズ・ラヴ?」と問い掛ける、内向きの疑問や焦燥の方であったのではないかと思う。
Howard Jones - What is love (HD 16:9)
それは、以後続く「ハイド・アンド・シーク」などの世界により広がりがあることでも想像できる。
しかし、MTV全盛の時代に、大衆に存在を知らしめる意味で、デビュークリップにこれを作ったのは正しい。
イントロのポップなリズムに合わせて、工場のラインが流れるシーンは、軽い気持ちで続きも見てみようかなという気になるし、たいしてお金がかかっているとも思えないクリップなのに、爽快感と本人のキャラクターで最後まで引っ張る映像は見事だ。
それにしても、アンダーグラウンドのホームに続く階段に山積みにされたチェーンから、ジェドおじさんが出てくるシーンは奇怪。
その奇怪さすら、異形の世界に持っていかないこの音のポップさと、全編から流れる明るさは実に立派である。
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RELAX / FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD(BODDU DOUBLE) ~B級ボーナスクリップ~
多分、日本で最もオンエア回数の少ないクリップがこのバージョンだろう。
Frankie goes to hollywood Relax (Body Double)
ヒッチコックへのオマージュとも、単なる「裏窓」と「めまい」のパクリともコラボとも言えそうな、デ・パルマ監督の映画「ボディ・ダブル」にこの曲が使用されたときに、映画フィルムを多用して作られたクリップである。
ボディ・ダブル [ クレイグ・ワッソン ]
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曲とB級なポルノ感覚あふれる映像は、すでに「リラックス」の歌詞の内容が話題になった後だったため、スムーズにつながる。
ただ、曲の最初のヒットの峠ははるかに過ぎていたため、新鮮さには欠け、どちらかというとコアなファン向けのボーナストラックのような印象を受けるクリップだった。
この頃はひとつのサントラブームともいえる時代で、この映画と並んでなぜか思い出すのが、第二期ブロンスキ・ビートのファーストヒット「ヒット・ザット・パーフェクト・ビート」をフィーチャーした「レター・トゥ・ブレジネフ(邦題:リヴァプールから手紙)」という映画だ。
ブレジネフ……時代を感じますね【VHSです】リヴァプールからの手紙 [字幕][アルフレッド・モリーナ]|中古ビデオ【中古】
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これは「1. ブロンスキのデビュー時にトレヴァー・ホーンが手を出したがっていたというエピソード」「2. 原題のブレジネフの名前とフランキーのセカンドシングル、『トゥー・トライブス』のクリップに出ていたチェルネンコのそっくりさんとの連想」という個人的なイメージの問題ではあるが、ここでこの2つのグループをつなげてしまったのは、私だけではないのではないだろうか。
RELAX / FRANKIE GOES TO HOLLYWOOD(STADIO LIVE)~セックスよりも刺激的な欺瞞~
「リラックスしてごらん、咥えてほしい時は」
「リラックスしてごらん、イキたい時は」
たしかに歌詞は刺激的だが、「come」にそんな意味があると知らなかった自分にとって、この曲の歌詞に刺激を受けた記憶はない。
むしろ、刺激的だったのはこのクリップである。
Frankie Goes To Hollywood - Relax (Laser Version)
この曲のクリップの中では、もっとも地味なバージョンがこのスタジオライヴのものなのだが、その反面、このクリップが一番心に残っている人は多いだろう。
私もその一人である。
同時期に流れたのはゲイバーで撮影されたバージョンなのだが、そちらは演奏シーンは一切なく、この曲のテーマである「セックス」を表現したエンタテイメント作品であった。
Frankie Goes To Hollywood - Relax (Restored Version)
しかし、その「セックス」よりも刺激的なスタジオライヴがここにある。
なにが刺激的だったのか。
それは多分、このクリップを知るすべての人が声をそろえるはずだ。
ベースである。
そのチョッパーとも一味違う謎のアクション。
それがこの退屈な演奏に、著しい刺激をプラスしているのだ。
全編にわたって、右から左から、行ったり来たりするその右手の激しい動き。
演奏していないのがまるわかりのオーバーアクション。
Aメロのベースラインはどう聴いても、開放弦を「ボン、ボン、ボン、ボン」と鳴らしているだけなのに、なぜか左手はフレットを動いている。
そう、ベースは楽器ではない。
ベースとは視覚を釘付けるアクセサリであり、ファッションのための武器なのだ。
このアクションを考えたのが、トレヴァー・ホーンではなく、もし、ベーシストのマーク・オトゥールだとしたら、その才能が開花することがなかったことを惜しまなくてはならない。
Frankie Goes To Hollywood Relax (1984)
ウェルカム・トゥ・ザ・プレジャードーム(デラックス・エディション) [ フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド ]
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ハワード・ジョーンズ HOWARD JONES
ハワード・ジョーンズはアイドルだった。
音楽性、実力、そういう面で捉えると物議をかもしだすかもしれない。
しかし、当時の日本の音楽シーンにおいては、少なくともそうだった。
ミーハー系の音楽雑誌には「ハワちゃん」「ハワードくん」といった文字が氾濫し、少女漫画には彼をモデルにした男の子が登場した。
その頃の洋楽ファンの女の子たちは、彼をカワイイと呼んだのだ。
でも、ホントにそうか?
顔は長いし、目は引っ込んでるし、アゴだってしゃくれてる。
え? 髪の毛がふわふわしててトウモロコシの房みたいでカワイイって?
それは毛根が弱って髪の毛にハリがなくなってるんだってば。
どう見たって、禿げ上がってるジャン!
……と、そんなこと一人で言ってみてもどうしようもない。
世論がハワード・ジョーンズをアイドルにした以上、たった一人の意見で彼のポジションが覆るはずもなかった。
その数年前、「ルビーの指輪」という曲が大ヒットしたときのことだ。
ニヒルな雰囲気でそれを歌う寺尾聰が「日本で一番二枚目」という空気が流れていた。
でも、二枚目という言葉についてよく考えてみよう。
世の中には草刈正雄だっているし、真田広之だっている。
しかし、時代の空気は、確実に寺尾聰を推していた。
「ハワードくんアイドル伝説」もちょうどそんな感じだった。
そもそも、デビュー当時の彼には「ニュー・ソング」のクリップからは推測すらできないアングラな部分があった。
あの頃話題になっていた、一人ですべてやってしまうライヴはその顕著な例ではないか。
あれは明らかに、自閉的かつ自己満足的なアンダーグラウンド・パフォーマンスだ。
それに、彼がメジャーシーンに登場する時に、一緒に引っ張り出したのはジェドおじさんだぞ。
あんなのどう見たって、暗黒舞踊系のパントマイマーだってば。
その先にある交友関係を想像したら、もっとすごいのがでてきそうだ。
しかし、ハワードは巧かった。
デビュー曲に「ニュー・ソング」を選んだのは賢明だったし、その一曲で手にした陽気なイメージに、どんどん自分を近づけていく努力をした。
セカンドアルバム「ドリーム・イントゥ・アクション」の頃からは、バックバンドを付け、ステージを一人ぼっちの暗黒芝居ではなく、聴衆を巻き込んだパーティーに変貌させた。
売れないミュージシャンだった弟を、そのバックバンドに迎えてアットホームなイメージまで作り出した。
[CD] ハワード・ジョーンズ/ドリーム・イントゥ・アクション
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当時、アイドル的人気を誇った同じマルチプレイヤーのニック・カーショウが、頑なにアイドル人気を拒み、ミュージシャンとしての自尊心を貫くあまり、奈落のそこに続く迷宮の入り口に立ってしまったのと対照的に、彼は日の当たるステージに立ち続ける道を進んだ。
Nik Kershaw - I Won't Let The Sun Go Down On Me
彼はポップスターになったのだ。
だが、彼のポップスター志向に基づく、自身のアイドル化計画は、意外なところで破綻をきたす。
それは、セカンドアルバムからのシングルカット「シングス・キャン・オンリー・ゲット・ベター」のクリップで見せた、さらにポップで派手なビジュアルのために、フワフワ感をキープしたまま、思いっきり逆立てたモヒカン調のトウモロコシカット……。
Howard Jones - Things Can Only Get Better
ああ哀しいかな、彼の毛根はそれ以上酷使されることを許さなかった。
そして、サードアルバム「ワン・トゥ・ワン」がリリースされた時、そのジャケットにいたのは、なんの変哲もない髪の薄い普通のおっさんだった。
(LP)ハワード・ジョーンズ/ONE TO ONE 【中古】
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こうして彼は、アイドルからミュージシャンへと、物理的に変貌を遂げた。
まるで、大銀杏を結えなくなった関取が、ひっそりと土俵を姿を消すかのごとく……。
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