THIS IS VIDEO CLASH "RETURNS"--80年代洋楽PVの記録--

PVをメインに取り上げた80年代洋楽の記録です。2000年頃のアーカイヴをtumblrに移植したものをさらにこちらへ。新作も加えていきます。

I Don't Like Mondays/THE BOOMTOWN RATS~月曜は嫌いだけどこの世界は好きなの

「月曜日は嫌いなの」

 


The Boomtown Rats - I Don't Like Mondays


Brenda Ann Spencerの事件は、今となってはさらにそれ以上の銃による悲劇を生みだしたアメリカ社会においては、今や決して大きな傷跡ではないのかもしれない。

しかしその不条理すぎる動機、若い殺人者という史実は、ある曲の要素として世に姿を残している。

 

実際には1979年のヒット曲であるこの曲が、ふたたび脚光を浴びたのは1980年代、エチオピア飢饉をきっかけにしたあるプロジェクトだった。

 


Do they Know it's Christmas ~ Band Aid 1984

BAND AID
80年代洋楽を聴いてきたものにとって、その名は永遠に心に刻まれているだろう。
その発起人となり、のちにベル平和賞の候補にもなったのが、THE BOOMTOWN RATSBOB GELDOFだった。

 

 

ドラマティックなイントロから盛り上がっていくスケールの大きな一曲、そして80年代のPV全盛期につながる作りこまれたビデオ。
残るべくして残った名曲だったが、このハードルを越えることができなかったのは、その後のバンドの実績が語っている。

 


LIVE.AID.1985.Boomtown Rats I Don't Like Mondays

ライヴエイドでBOBを包む、この大歓声を聞け。
あのとき、僕たちはこれからの世界を支える、若き感性だったのだ。

 

音楽の世界において、BOBは決してトップアーティストに上り詰めたとはいえない。
そしてBOOMTOWN RATSも、結果的にトップグループにはなりえなかった。

だが彼らは僕たちの心に何かを残した。

 


「月曜は嫌いなの」
この言葉は、社会に出た誰しもが、一度はつぶやいたことがあるだろう。

I Don't Like Mondays, but we love this world.

 

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New Year's Day/U2~新年に思い出す若き革命の信念


New Year's Day U2 Video

A Happy New Year!

 

U2というとこの時代の怒れる若者的な印象がいまだに強く、BONOがなんだかひげ面のゲイっぽいおじさんになって、おしゃれなダンスミュージックに手を染めたなんてピンとこない。

 

血の日曜日を叫び、革命を支持するかのようなこの頃の彼らは美しい。
まっすぐな青年時代の血の叫び。
それが歴史上、いくつの国を変え、いく人の人を救ってきただろうか。

 

ときには理想は屈し、ときにはその若き命は花と散っただろう。
それでも僕たちは、この新年の叫びに新年を見たのだ。

 

PVはBIG COUNTRYのWonderlandと並ぶ、雪中撮影の珠玉の作品。

 


Big Country/ Wonderland


あと加えるならイメージフィルムとして雪景色の挿入されるBUNNYMENのThe Cutterが三大雪中PVだ。

 


Echo And The Bunnymen - The Cutter HD

 

A Happy New Year for our New year's day!!

 

 

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Jingle Bell Rock/DARYL HALL JOHN OATES~メリークリスマス!あの日の自分!

 


Daryl Hall & John Oates - Jingle Bell Rock (Daryl's Version - Video)

 

当時クリスマスシーズンのMTVで一度だけ流されたこの曲。
シーズンがシーズンだけに面白いなと思ったが数か月たって録画したものを見ると、なんだこりゃって感じだった。

 

でも今になってよく見ると楽しいな。

 


Daryl Hall & John Oates - Jingle Bell Rock (John's Version - Video)

そのとき見たのは、当然のようにDARYL HALLバージョンで、JOHNのバージョンがあるなんて知らなかったけど、ふたりそれぞれのバージョンを作ってるのってなんかいいよなあと思う。

 

曲自体はその後、たまたま買ったVENTURESのアルバムに収録されていたため、カバー曲だったと知ることになる。

 

まあ、そんなことはどうでもいい。
クリスマスはいくつになっても、あの頃のわくわくする感覚を思い起こさせてくれるのだから。
メリークリスマス。

 

 


 

 


 

 

Twist Of Fate/OLIVIA NEWTON JOHN~法廷で歌われた歌姫の本気


Olivia Newton John - Twist of fate

あまりに美しいOLIVIAのブロンドをこんなにも輝いて見せたPVがかつてあっただろうか。

 


Olivia Newton-John - Physical


Physicalで若くてセクシーな魅力を見せた彼女が、大人の女性として音楽ファンの前に帰ってきた。

 

黒そして水という、すべてを飲み込む要素を背景に、OLIVIAのブロンドの輝きを最大限活かした美の極致がこのフィルムに詰まっている。

 

法廷劇に仕立て上げたストーリヘの合間合間に、もともとこの曲の出自でもある、OLIVIA主演の映画「セカンドチャンス」のフィルムが上手く挿し込まれ、映画のサントラの曲でありながら、ひとりのシンガーのPVとして成り立たせているその完成度は高い。

 

映画のシーンだけでつないだ、オマケのようなサントラ曲とは大違いだ。

最後にトラボルタが出てくるのも、このPVの本気さを伝える大事なパーツ。
それにしてもOLIVIAは美しく、トラボルタはあごが割れてる。

 

それにしても、この数年後に見たトラボルタがメタボってたのはびっくりしたな。

 


 

 


 

 

 

 

Everything Counts/DEPECHE MODE~ポップなぼくらの大人への階段


Depeche Mode Everything Counts (Remastered Video) lyrics

 

デビューからのメインソングライターだった Vince Clarke が抜け Martin がソングライターとして再出発した DEPECHE MODE は、結果的にはその後より大きなグループへと成長をしていく。

 

おそらく Vince の軽いシンセポップの音で勝負を続け行けば、大方の類似のグループが短命に終わったのと同様、これほどの活躍はなかったのではないかと思う。


DEPECHE MODE - Dreaming Of Me (Music Video) HD

 

Martin が主導権を握ってからの、鉄骨をたたくような骨のあるロックな反面を持ったテクノポップは、ほかに真似るものを寄せ付けない個性があり、そして一度聴くとクセになるような中毒性があった。

 

Get The Balance Right で顔を覗かせたその要素は、この Everything  Counts で一気に花開いたのだ。

 


Get the Balance Right ( DEPECHE MODE ) 1983

 

明るい陽射しと青い空の印象が強いPVで、ボーカルの David が映される舞台はどこか閉塞的な異次元のような空間で、開放的なオフショットとは区分された、歌うという行為の苦しみを表現しているようにさえ感じさせる。


David の野太いヴォーカルは、空気のように軽い Vince の音より、重厚なビートの上に構築される Martin の音によって、より輝いたと思うがどうだろうか。

 

その低音に絡む Martin のハイトーンなコーラスと掛け合いはこのあと、さらに大きなヒット曲となる People Are People で昇華することになる。


そして Vince 時代の夢見がちな恋というテーマは姿を消して、より重くより深みを増す曲のテーマを歌い上げる、太く低い声の重さをやわらかく透き通ったコーラスが絶妙のマリアージュを持って、ポップソングに育てていくのだ。

 

それにしてもこの時期の Alan のなんと美しいことか。


そして Martin のハードコアなボンデージ趣味がまだここではレザー生地ではないソフトなタンクトップという形で、ふわりと姿を見せているのも見逃せない。

ポップなぼくらのの大人への階段はここにあったのだ。

 

あと、この曲の間奏で Martin が演奏しているピアニカを見た時は驚いたな。
子どもの頃、ダサい楽器としか思っていなかった鍵盤ハーモニカが、音という観点から見ると、こんなにいい音を奏でるのだ。
先入観ほど怖いものはない。

 

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ベルリン BERLIN

私は女神、私は芸者、私はブルームービー……。

 

テリー・ナンの小さな体と吐息は、「セックス・アイム・ア…(邦題:その時、私は ← 「その時」というボカし方がかえって淫猥)」という一曲とともに現れた。

 


Berlin - Sex (I'm A) (Official Music Video Promo)

 

テリー・ナンの小さな体躯は激しく動き、その幼いルックスと小さく開いた口から漏れる吐息のような歌声に、目も耳も奪われた。

 

こんなにヨーロッパ的なグループが、アメリカから登場したことは衝撃だった。
ブルース・スプリングスティーン、ナック、ロマンティックス、ヒューイ・ルイス……
そういうアメリカの音楽を聞くたびに、「アメリカの音楽はボディ・ミュージック」「ヨーロッパの音楽はブレイン・ミュージック」と、決め手かかっていた頃だったからだ。

 

ベルリンの音は頭脳の奥に直接響き、そこから体の何かを痺れさせるという、「フロム・ブレイン・トゥ・ボディ」とでも表現したくなる、不思議な力を持っていた。

 


Berlin - Now It's My Turn (1984)

 

ベルリンの曲が最も洗練され、テリー・ナンのコケティッシュな魅力が最も輝いていたのは、当初三人だったメンバーが七人に増えた、二枚目のアルバム「ラヴ・ライフ」の頃だろう。


Berlin-Touch 1984


中でも、「ダンシング・イン・ベルリン」のクリップは、単なるスタジオライヴなのに、体が震えるほどカッコいい。このバンドのヴィジュアル的な最高傑作だといえる。
しかし、ベルリンがトップに輝くのはそれよりも後のことになる。


Berlin - Dancing In Berlin

三枚目のアルバムの曲、「テイク・マイ・ブレス・アウェイ(愛は吐息のように)」が映画「トップガン」の主題歌として大ヒットを記録するのだ。


だが、その時メンバーは三人に戻っており、あのクリップのライヴアクションはもう見られなくなっていた。

 


Berlin - Take My Breath Away

 

「テイク・マイ・ブレス・アウェイ(愛は吐息のように)」で、世界はベルリンという一都市(グループ)に占領された。

 

しかしそれと同時に、テリー・ナンの吐息が世界の共有物になることによって、ベルリンという一都市(アート)は陥落したのだ。

 

 

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リ・フレックス RE-FLEX

地を這うような低音から入り、高音まで一気に突き抜けていくボーカル。
バクスターのその声にからむ、無機質に刻まれるビート。
テクニックの高さを感じさせる人の手による各パートの音と、そこにやっぱり無機質にからみつく不思議なビート。
リ・フレックスは、あの頃、近未来を感じさせる音を持ったグループだった。

 


Re-Flex - Hurt

 

たった一枚のアルバムを残しただけのグループが、こんなにも印象に残っているのは、そのアルバムのクオリティの高さによるところが大きい。
収録された曲のすべてがクオリティ高く、しかもその曲の並びが実にうまい。
シングルヒットした曲が収録されているにも関わらず、トータルで一枚の作品に仕上がっているのだ。


オープニングの「プレイング・トゥ・ザ・ビート」に始まり、本国ではシングルカットされていたという「ヒットライン」、当時日本でもクリップを確認できた「ハート」と、たたみかけるようなラインナップは、シングルヒットの「ザ・ポリティクス・オブ・ダンシング(邦題:危ないダンシング)」が始まるまでに、すでに聴く者をリ・フレックスの世界に引き込んでしまうだけの力と完成度を持っている。

 


Re-Flex - Praying To The Beat ( Promo Video) [HD]

 


Re-Flex - Hitline - 1983 - promo clip

 

時はダンスミュージック全盛時。昨今のヒップホップ系とは一味違う、「ミュージック」がダンスフロアを席巻していた。
あの頃のダンスミュージックにはメロディがあった。
その時代に、リ・フレックスの音楽と近未来感は鮮やかに乗っかった。


事実、「ザ・ポリティクス・オブ・ダンシング」は、本国だけでなくアメリカでも受け入れられた。
そして、当時の多くのヒット曲のご多分に漏れず、アメリカ経由で彼らは日本にもデビューを果たすのである。

 


Re Flex - The Politics Of Dancing (1982) Remix

 

だがリ・フレックスは、日本ではコアなファンこそ生まれたが、大衆に支持される事はなかった。


どうしてだろう。

 

ひとつは、ヒット曲「ザ・ポリティクス・オブ・ダンシング」という曲自体が、当時日本のチャートをにぎわしていたデュラン・デュランカルチャー・クラブとは、毛色の違うものだったことがあげられる。


サビこそ覚えやすいキャッチーさを持っているが、全体を通すと日本人の好む「哀愁」というエッセンスは皆無に近い。もっと、無感情で無機質なメロディだ。
それこそが、リ・フレックスの魅力だったのであるが。

 

ふたつめに、その曲のクリップは日本の洋楽ブームを支えた大多数層に訴えなかった。
ニック・ローズだ、ボーイ・ジョージだ、リマールだと、アイドルくんに視線を釘付けにされていた、日本の「大衆洋楽ファン」を魅せるためには、バクスターがいつまでもツケヒゲして、素顔を隠していては無理だろう。


まあ、素顔を見せたところで、ギャルたちが騒いだかどうかは微妙なルックスだが、それでものちのハワード・ジョーンズの例もある。
あれでいいなら、こっちの方がイケてるはずだ。

 

だが、彼らのハイクオリティな音とたしかな演奏は、大物ミュージシャンも魅了していた。

セカンドアルバムに先行してリリースされたシングル「ハウ・マッチ・ロンガー」には、スティングが参加したのである。

 


Re-Flex - How much longer 1986


「さあ、ここからリ・フレックスのさらなるインベイジョンが始まるのだ」とフアンは思ったことだろう。
しかし、リ・フレックスの第二章はここで閉ざされてしまう。

 

彼らの音は、魅了してはいけない大物まで魅了してしまった。トンプソン・ツインズである。
ソングライターであったポール・フィッシュマンが、トンプソン・ツインズの全米ツアーのメンバーとして、グループを脱退してしまったのだ。
バンドはもめ、一説にポール・フィッシュマンは、脱退金を払ってツアーに出て行ったとも聞く。


こうして、リ・フレックスの未来は閉ざされた。
彼らが作り出した近未来的な音は、永遠に近未来の世界に置き去りになってしまった。

 

 

Politics of Dancing

Politics of Dancing

 

 

 

The Politics Of Dancing - Re-Flex (2) 12

The Politics Of Dancing - Re-Flex (2) 12"

 

 

 

The Politics of Dancing (Extended Version)

The Politics of Dancing (Extended Version)