THIS IS VIDEO CLASH "RETURNS"--80年代洋楽PVの記録--

PVをメインに取り上げた80年代洋楽の記録です。2000年頃のアーカイヴをtumblrに移植したものをさらにこちらへ。

Everything Counts/DEPECHE MODE~ポップなぼくらの大人への階段


Depeche Mode Everything Counts (Remastered Video) lyrics

 

デビューからのメインソングライターだった Vince Clarke が抜け Martin がソングライターとして再出発した DEPECHE MODE は、結果的にはその後より大きなグループへと成長をしていく。

 

おそらく Vince の軽いシンセポップの音で勝負を続け行けば、大方の類似のグループが短命に終わったのと同様、これほどの活躍はなかったのではないかと思う。


DEPECHE MODE - Dreaming Of Me (Music Video) HD

 

Martin が主導権を握ってからの、鉄骨をたたくような骨のあるロックな反面を持ったテクノポップは、ほかに真似るものを寄せ付けない個性があり、そして一度聴くとクセになるような中毒性があった。

 

Get The Balance Right で顔を覗かせたその要素は、この Everything  Counts で一気に花開いたのだ。

 


Get the Balance Right ( DEPECHE MODE ) 1983

 

明るい陽射しと青い空の印象が強いPVで、ボーカルの David が映される舞台はどこか閉塞的な異次元のような空間で、開放的なオフショットとは区分された、歌うという行為の苦しみを表現しているようにさえ感じさせる。


David の野太いヴォーカルは、空気のように軽い Vince の音より、重厚なビートの上に構築される Martin の音によって、より輝いたと思うがどうだろうか。

 

その低音に絡む Martin のハイトーンなコーラスと掛け合いはこのあと、さらに大きなヒット曲となる People Are People で昇華することになる。


そして Vince 時代の夢見がちな恋というテーマは姿を消して、より重くより深みを増す曲のテーマを歌い上げる、太く低い声の重さをやわらかく透き通ったコーラスが絶妙のマリアージュを持って、ポップソングに育てていくのだ。

 

それにしてもこの時期の Alan のなんと美しいことか。


そして Martin のハードコアなボンデージ趣味がまだここではレザー生地ではないソフトなタンクトップという形で、ふわりと姿を見せているのも見逃せない。

ポップなぼくらのの大人への階段はここにあったのだ。

 

あと、この曲の間奏で Martin が演奏しているピアニカを見た時は驚いたな。
子どもの頃、ダサい楽器としか思っていなかった鍵盤ハーモニカが、音という観点から見ると、こんなにいい音を奏でるのだ。
先入観ほど怖いものはない。

 

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Do They Know It's Christmas?/BAND AID~(3)メリークリスマス・フォーエバー

それと比較して、後発のアメリカにはなんだかショウビズの臭いを感じてしまったのは仕方ないところだろう。

 

弁護するなら、効果も何もわからないままスタートしたイギリスと違い、バンドエイドの成功を見たから始まったプロジェクトなわけだし、集まってくるメンバーにもハレの舞台だという意識がそもそもあったから、という言い訳は通さざるを得ない。


Live Aid Finale 1985 - Do They Know Its Christmas



たださらに半年後のライヴエイドにしても、フィナーレを比較すると、みんなで自然にマイクに集まって、自分の声が拾われているとかいないとか関係なく歌い、時には隣のアーティストにマイクを譲ったりしている姿が映されたイギリス。

 


USA For Africa - We Are The World Live Aid 1985 - (HD)

 

それに対して、なんだか台本通りに「ここ盛り上げて!」「ここそっちが仕切って!」みたいにやろうとしてるのに、俺が俺が私が私がで収拾がつかなくなっていく上に、終わってみればものすごい勢いの黒人のおばちゃんしか記憶に残らなかったアメリカという感じだった。

 

いや、パティ・ラベルはたしかにすごいシンガーですけど。
ただなんか空気の読めない大阪のオバチャンが黒人になってアメリカに登場したみたいな印象ではあった。

ともあれ、バンドエイドは美しい。

 


Band Aid - Do They Know its Christmas - The Making of - 1984 Video

 

そしてそもそもこのチャリティの流れの発端だったからということもあるだろう。
この奇跡のグループだけが、伝説となりうるのではなかろうか。

 

それにしてもポール・ウエラーって男前だな。
生真面目好きて、いかにもなポップスターの中に入ると所在なさげにしてる感じはするけど。

 

Feed the world!
飢えることのない世界を!

 

 


 

 

 

 

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Do They Know It's Christmas?/BAND AID~(2)普段着のクリスマス


Do They Know It's Christmas / Band Aid

 

志の立派さに異論を唱えるつもりはないが、ネーナとアルファヴィル以外は誰が誰だかわからなかったドイツのあれとかは、世界的な影響の小ささから、今回は話題にしないことにする。


Band für Afrika bei Form1 - Nackt im Wind u.a. mit Nena 1985

 

バンドエイドもアメリカのほうも、結果として、巨額の支援を苦しむ人々のために集めたことには違いない。
そこに口を挟む資格は、その規模の何かをできるはずもない我々にはもちろんない。

 

しかし、あの頃さんざんいわれたUSA FOR AFRICAに対する指摘は、的を射ている。

 

「アメリカのステージはマイクを奪い合っていて醜かった」
「イギリスのファイナルはマイクを譲り合い、みんなの心がひとつになっていた」

 

これは本当に見れば見るほどその意見にうなずくほかない。

PVを見ていてもわかる。

 


Band Aid - Do They Know It's Christmas (Extended Version)

イギリスのメンバーは、みんな普段着なのだ。
まるで仲間とオフでセッションするように集まり、普段着のまま歌う。

 

リードをとるポール・ヤングはTシャツだし、ジョージ・マイケルサイモン・ル・ボンだって近所をうろうろしてそうな恰好だ。
ボノもそのへんの大学生みたいなラフなシャツで、トニー・ハドリーですらジャケットを着てない。

 

サビの前に遅れて参加してくるメンバーの服装ひとつとっても、バナナラマなんてもう完全に、部屋着の隣のお姉ちゃんだしね。
マリリンの毛皮のコートにはちょっと笑ったが、その下の服ときたら、ジョギングのおじさんみたいなもんだし。
ボーイ・ジョージなんて着飾ってなさ過ぎて、逆にそこだけは譲れなかった化粧が浮きまくってる。

 

それに本当にこれだけのスターが集まっていても、誰ももっと映せだのなんだのいわなかったっぽいPVの仕上がりがすごすぎる。
JTにしろ、ジョディ・ワトリーにしろ、それでいいのかというくらいの出番だった。

 

 


 

 

 

 

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Do They Know It's Christmas?/BAND AID~(1)クリスマスを世界に


Do They Know It's Christmas / Band Aid

1984年。

一人の表舞台から消えかけていた男のふとした思い付きがすべてを変えた。
世界も。そして彼自身の人生をも。


The Boomtown Rats - I Don't Like Mondays

ボブ・ゲルドフのしたことは素晴らしい。
パブリックに語られているきっかけがどこまで真実で、どこからが虚飾なのか、そんなことは問題ではない。
結果が出ればそれでいいのだ。

 

世界に食糧を。

 

当たり前のように食事をし、当たり前のように眠り、起きたら朝食が食べられる。
街のどこかで消費期限を過ぎた弁当が、鍵をかけたごみ箱に廃棄されていく。食べ物が。
まだ食べられる食べ物が、廃棄されていくような世界に住んでいる我々には、決して実感できない試練があの頃たしかにあり、そしてそれは今もどこかで形を変え国を変え、継続している試練なのだ。

 

それを安易に地獄と呼ぶことは許されない。なぜなら、その世界しか知らなければ、それはどんなにつらくとも、日常だからだ。

 

さておき。
ボブの行動と、それを支えたミッジ・ユーロの功績、そして世界が興味を示した顔ぶれの豪華さだけが、バンドエイドではない。

 

当時もさんざん語られたことではあるが、バンドエイドには比較対象があった。
それが後発のUSA FOR AFRICAだった。

 

USA for Africa - We are the World

 

 


 

 


 

 

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ベルリン BERLIN

私は女神、私は芸者、私はブルームービー……。

 

テリー・ナンの小さな体と吐息は、「セックス・アイム・ア…(邦題:その時、私は ← 「その時」というボカし方がかえって淫猥)」という一曲とともに現れた。

 


Berlin - Sex (I'm A) (Official Music Video Promo)

 

テリー・ナンの小さな体躯は激しく動き、その幼いルックスと小さく開いた口から漏れる吐息のような歌声に、目も耳も奪われた。

 

こんなにヨーロッパ的なグループが、アメリカから登場したことは衝撃だった。
ブルース・スプリングスティーン、ナック、ロマンティックス、ヒューイ・ルイス……
そういうアメリカの音楽を聞くたびに、「アメリカの音楽はボディ・ミュージック」「ヨーロッパの音楽はブレイン・ミュージック」と、決め手かかっていた頃だったからだ。

 

ベルリンの音は頭脳の奥に直接響き、そこから体の何かを痺れさせるという、「フロム・ブレイン・トゥ・ボディ」とでも表現したくなる、不思議な力を持っていた。

 


Berlin - Now It's My Turn (1984)

 

ベルリンの曲が最も洗練され、テリー・ナンのコケティッシュな魅力が最も輝いていたのは、当初三人だったメンバーが七人に増えた、二枚目のアルバム「ラヴ・ライフ」の頃だろう。


Berlin-Touch 1984


中でも、「ダンシング・イン・ベルリン」のクリップは、単なるスタジオライヴなのに、体が震えるほどカッコいい。このバンドのヴィジュアル的な最高傑作だといえる。
しかし、ベルリンがトップに輝くのはそれよりも後のことになる。


Berlin - Dancing In Berlin

三枚目のアルバムの曲、「テイク・マイ・ブレス・アウェイ(愛は吐息のように)」が映画「トップガン」の主題歌として大ヒットを記録するのだ。


だが、その時メンバーは三人に戻っており、あのクリップのライヴアクションはもう見られなくなっていた。

 


Berlin - Take My Breath Away

 

「テイク・マイ・ブレス・アウェイ(愛は吐息のように)」で、世界はベルリンという一都市(グループ)に占領された。

 

しかしそれと同時に、テリー・ナンの吐息が世界の共有物になることによって、ベルリンという一都市(アート)は陥落したのだ。

 

 

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リ・フレックス RE-FLEX

地を這うような低音から入り、高音まで一気に突き抜けていくボーカル。
バクスターのその声にからむ、無機質に刻まれるビート。
テクニックの高さを感じさせる人の手による各パートの音と、そこにやっぱり無機質にからみつく不思議なビート。
リ・フレックスは、あの頃、近未来を感じさせる音を持ったグループだった。

 


Re-Flex - Hurt

 

たった一枚のアルバムを残しただけのグループが、こんなにも印象に残っているのは、そのアルバムのクオリティの高さによるところが大きい。
収録された曲のすべてがクオリティ高く、しかもその曲の並びが実にうまい。
シングルヒットした曲が収録されているにも関わらず、トータルで一枚の作品に仕上がっているのだ。


オープニングの「プレイング・トゥ・ザ・ビート」に始まり、本国ではシングルカットされていたという「ヒットライン」、当時日本でもクリップを確認できた「ハート」と、たたみかけるようなラインナップは、シングルヒットの「ザ・ポリティクス・オブ・ダンシング(邦題:危ないダンシング)」が始まるまでに、すでに聴く者をリ・フレックスの世界に引き込んでしまうだけの力と完成度を持っている。

 


Re-Flex - Praying To The Beat ( Promo Video) [HD]

 


Re-Flex - Hitline - 1983 - promo clip

 

時はダンスミュージック全盛時。昨今のヒップホップ系とは一味違う、「ミュージック」がダンスフロアを席巻していた。
あの頃のダンスミュージックにはメロディがあった。
その時代に、リ・フレックスの音楽と近未来感は鮮やかに乗っかった。


事実、「ザ・ポリティクス・オブ・ダンシング」は、本国だけでなくアメリカでも受け入れられた。
そして、当時の多くのヒット曲のご多分に漏れず、アメリカ経由で彼らは日本にもデビューを果たすのである。

 


Re Flex - The Politics Of Dancing (1982) Remix

 

だがリ・フレックスは、日本ではコアなファンこそ生まれたが、大衆に支持される事はなかった。


どうしてだろう。

 

ひとつは、ヒット曲「ザ・ポリティクス・オブ・ダンシング」という曲自体が、当時日本のチャートをにぎわしていたデュラン・デュランカルチャー・クラブとは、毛色の違うものだったことがあげられる。


サビこそ覚えやすいキャッチーさを持っているが、全体を通すと日本人の好む「哀愁」というエッセンスは皆無に近い。もっと、無感情で無機質なメロディだ。
それこそが、リ・フレックスの魅力だったのであるが。

 

ふたつめに、その曲のクリップは日本の洋楽ブームを支えた大多数層に訴えなかった。
ニック・ローズだ、ボーイ・ジョージだ、リマールだと、アイドルくんに視線を釘付けにされていた、日本の「大衆洋楽ファン」を魅せるためには、バクスターがいつまでもツケヒゲして、素顔を隠していては無理だろう。


まあ、素顔を見せたところで、ギャルたちが騒いだかどうかは微妙なルックスだが、それでものちのハワード・ジョーンズの例もある。
あれでいいなら、こっちの方がイケてるはずだ。

 

だが、彼らのハイクオリティな音とたしかな演奏は、大物ミュージシャンも魅了していた。

セカンドアルバムに先行してリリースされたシングル「ハウ・マッチ・ロンガー」には、スティングが参加したのである。

 


Re-Flex - How much longer 1986


「さあ、ここからリ・フレックスのさらなるインベイジョンが始まるのだ」とフアンは思ったことだろう。
しかし、リ・フレックスの第二章はここで閉ざされてしまう。

 

彼らの音は、魅了してはいけない大物まで魅了してしまった。トンプソン・ツインズである。
ソングライターであったポール・フィッシュマンが、トンプソン・ツインズの全米ツアーのメンバーとして、グループを脱退してしまったのだ。
バンドはもめ、一説にポール・フィッシュマンは、脱退金を払ってツアーに出て行ったとも聞く。


こうして、リ・フレックスの未来は閉ざされた。
彼らが作り出した近未来的な音は、永遠に近未来の世界に置き去りになってしまった。

 

 

Politics of Dancing

Politics of Dancing

 

 

 

The Politics Of Dancing - Re-Flex (2) 12

The Politics Of Dancing - Re-Flex (2) 12"

 

 

 

The Politics of Dancing (Extended Version)

The Politics of Dancing (Extended Version)

 

 

ザ・ロータス・イーターズ LOTUS EATERS

青春にはその時代にしかない共存の仕方がある。


「青い」「美しい」「爽やか」「痛い」「清い」「透き通る」「傷」。
そういったキーワードの中でも相容れないふたつが共存するのが、青春であり思春期なのだ。


たとえば「美しい痛み」、「透き通る傷」。


痛みは傷を伴い、傷は恐怖を伴うものであるのに、この時代にはそれらが、まるで透き通った輝く美しさを持っている。
その時代だけが持つこの特徴は、時に「硝子」にたとえられる。

 

ロータス・イータースはそれらのキーワードの中で、「美しい」「爽やか」「透き通る」といった共存しやすい要素を表に見せて現れたグループだった。

 


The Lotus Eaters - The First Picture of You


出始めの頃のティアーズ・フォー・フィアーズが、アコースティック・ギターを所々に入れて、ハイトーンのヴォーカルを聞かせた「ペイル・シェルター」で「青さ」と「痛み」を共存させたのに対して、ロータス・イータースが「ファースト・ピクチャー・オブ・ユー(邦題:青春のアルバム ← なんとかしてください)」で聞かせたのは、「透き通った爽やかさ」、淡い初恋のよき思い出だった。

 

ただ、彼らはだてに刈上げていたわけではない。

ピーターとジェレミーの刈上げは本気だった。


アルバム「ノー・センス・オブ・シン(邦題:青春のアルバム ← これもなんとかしてください)」で聞かせた楽曲は、「ファースト・ピクチャー・オブ・ユー」の透明感に「痛み」を映したものだった。
彼らが本当に得意としたメロディはシングルカットされたデビュー曲のそれではなかったのだろう。

 


LOTUS EATERS - It hurts

 

セカンドアルバムに先行される形で(注)シングルカットされ、クリップの流された「ユー・ドント・ニード・サムワン・ニュー」では、その「痛み」が全編に漂っていた。

 


Lotus Eaters - You Don't Need Someone New (Hold Tight)


そして、後ろからのアングルで堂々と移される、アクターの刈上げはその毛穴から、血が流れるのではないかと思うくらいに白黒なのに青かった。


その痛みに耐えかねた時、彼らの青春は終わった。

 

(注)筆者所有のファーストアルバムは洋盤

 

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